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広島家庭裁判所 昭和50年(少)714号 決定 1975年8月08日

少年 M・E子(昭三三・八・一六生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

非行事実

少年は、小学校入学後、間もなく実母が死亡し、実父も病気療養のため長期入院したため、その後は実姉らに養育されて来たものであるが、昭和五〇年二月頃、異性である高校生数人と性的交渉を重ね、同年三月一〇日頃および同年四月一二日頃の二回にわたつて家出し、不良異性交友関係にある相手のアパートに止宿し、更に同年七月一三日家出し、広島市内の暴力団○○会幹部○井○見方において同組員らとともに同居し、同組員らのすすめるままに第三者と性的交渉をもつなどして、実姉らが帰宅するよう説得してもこれに応じないなど、保護者の正当な監督に服さない性癖を有し、家出をくり返して正当な理由がなく家庭に寄り附かず、自己の徳性を害する行為を重ねているもので、このまま放置すれば、その性格、環境に照らして将来罪を犯す虞れがある。

(なお、本件非行事実については、当庁昭和五〇年(少)第七一五号Aに対する虞犯保護事件記録のAの司法警察員に対する供述調査謄本、同年(少)第七八一号Bに対する傷害保護事件記録のC(昭和五〇年七月二二日付)、Bの司法警察員に対する各供述調書、A、Bの司法巡査に対する各供述調書謄本をもその認定資料にした。)

適条

前記事実につき少年法第三条第一項第三号イないしニ

中等少年院に送致する理由

少年の要保護性については、昭和五〇年八月八日付少年調査票および同月七日付鑑別結果通知書記載のとおりであるから、これを引用するが、その要点を摘記すれば次のとおりである。

少年は、実母死亡後、実父も病気で長期入院などしたため、小学校一年のとき(昭和四二年)から長姉T子のもとに引きとられて養育されて来た。父親が酒好きで、そのために身をもちくずしたようなこともあつて義兄F・Hから父親を批難され、少年をも含めてだめな奴だといわれて厄介視され、少年は萎縮し、いじけた形で成長し、甘えを抑圧、誰ともうちとけず、ただ叱責されないように周囲の顔色をうかがい、敏感に察してそれに合せて行動して来たようである。昭和四九年夏、現在の次姉R子のもとに引きとられて来て、同姉が少年に対してやさしく愛情をもつて接してくれたため、これまで抑圧していた愛情欲求が表面化、これまで全く抑圧されていただけに未熟、衝動的、自己本位な表れ方をして、周囲(次姉や義兄ら)との間に葛藤を招いている。今までは自分は何もできなかつた、自分らしく生きていなかつた、これからは誰にも干渉されずに自由に生きたいと考え、情緒的にも混乱し、次姉や義兄の愛情をわずらわしいもの、あるいは干渉と受け取り、これを拒否、あるいはこれから逃避して行こうとしている。そして昭和五〇年二月頃、同級生D子に紹介された高校生のE、Aと親しくなつて肉体関係を結んだのを始めとして、数人の他の高校生ともその場のなりゆきにまかせて次々に性的交渉を重ねるにいたり、前記非行事実記載のように次姉らに反発して再三家出をくり返しては異性との不良交友関係を続け、ついに暴力団幹部の○井○見方にその組員らと同居して売春行為などをも辞さないようになつた。長姉のところでは義兄から父親はじめ少年も含めて駄目な人間として扱われているところから、自分を駄目な人間と規定し、社会からのはみ出し者への同一視、親近感が形成され、次第に不良集団へと接近して行くようになつた。勝気ではあつても誇りや向上意欲が希薄なため、自分をより駄目にしていく売春行為、覚せい剤使用にもさして抵抗がなかつたものといえよう。

このように、少年は小学一年のときからその家庭は崩壊し、実姉夫婦らのもとで養育されたため家庭内での躾けも充分には行われておらず、また愛情欲求に伴う葛藤があり、情緒的にも不安定となつていて、現在不良少年や暴力団組員との交際、生活の中に自己を位置づけ、誤つた方向への自己解放感を見出しており、その虞犯的行動、非行の根には深いものがある。次姉夫婦に保護能力が認められないわけではないが、現在ではも早や同人らの手に負えない状況となつている。

以上のような諸般の事情を考慮すると、この際、少年を中等少年院に送致して、現在の環境、交友関係から離脱させるとともに、心理療法的な方法によつて少年のこれまでの心の傷をいやし、少年院での規律的な生活および教育を通じ、さらには次姉夫婦の協力をもえて、少年が今後健全な社会生活を営むことができるようにしつかりした方向づけを与えることが必要であると考える。

よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条三項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 安次嶺真一)

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